【COGHCC聖書通読】 2018/10/17 - 伊藤ファミリーBLOG

マタイによる福音書 21:1-7

さて、彼らがエルサレムに近づき、オリブ山沿いのベテパゲに着いたとき、イエスはふたりの弟子をつかわして言われた、 「向こうの村へ行きなさい。するとすぐ、ろばがつながれていて、子ろばがそばにいるのを見るであろう。それを解いてわたしのところに引いてきなさい。 もしだれかが、あなたがたに何か言ったなら、主がお入り用なのです、と言いなさい。そう言えば、すぐ渡してくれるであろう」。 こうしたのは、預言者によって言われたことが、成就するためである。 すなわち、「シオンの娘に告げよ、見よ、あなたの王がおいでになる、柔和なおかたで、ろばに乗って、くびきを負うろばの子に乗って」。 弟子たちは出て行って、イエスがお命じになったとおりにし、 ろばと子ろばとを引いてきた。そしてその上に自分たちの上着をかけると、イエスはそれにお乗りになった。

当時、王や将軍など身分の高い人は馬に乗って城に入りましたが、イエス様は馬ではなく、背が低く荷物を引くために用いられるロバに乗ってエルサレムに入城されました。それは権力や軍事力によって世を治めるのではなく、苦難の僕として人に仕える柔和な王の姿を象徴するもので、旧約聖書の預言を成就するためでもありました。権勢によらず、能力によらず、神の霊によってこの世を支配する悪しき者の力に勝利を収められた主に、ただひたすらに信頼してお従いする私たちでありますように。

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マタイによる福音書 21:8-11

群衆のうち多くの者は自分たちの上着を道に敷き、また、ほかの者たちは木の枝を切ってきて道に敷いた。 そして群衆は、前に行く者も、あとに従う者も、共に叫びつづけた、「ダビデの子に、ホサナ。主の御名によってきたる者に、祝福あれ。いと高き所に、ホサナ」。 イエスエルサレムにはいって行かれたとき、町中がこぞって騒ぎ立ち、「これは、いったい、どなただろう」と言った。 そこで群衆は、「この人はガリラヤのナザレから出た預言者エスである」と言った。

エルサレムに入城されるイエス様を見た群衆たちは、道に自分たちの上着や棕櫚の葉を敷き詰めてレッドカーペットのようにして、ホサナ、ホサナと讃美を捧げながらお迎えしました。私たちも心の宮にイエス様をお迎えするにあたり、心からの敬意と讃美をもって、最大級の歓迎をする者でありたいと願います。

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マタイによる福音書 21:12-17

それから、イエスは宮にはいられた。そして、宮の庭で売り買いしていた人々をみな追い出し、また両替人の台や、はとを売る者の腰掛をくつがえされた。 そして彼らに言われた、「『わたしの家は、祈の家ととなえらるべきである』と書いてある。それだのに、あなたがたはそれを強盗の巣にしている」。 そのとき宮の庭で、盲人や足なえがみもとにきたので、彼らをおいやしになった。 しかし、祭司長、律法学者たちは、イエスがなされた不思議なわざを見、また宮の庭で「ダビデの子に、ホサナ」と叫んでいる子供たちを見て立腹し、 イエスに言った、「あの子たちが何を言っているのか、お聞きですか」。イエスは彼らに言われた、「そうだ、聞いている。あなたがたは『幼な子、乳のみ子たちの口にさんびを備えられた』とあるのを読んだことがないのか」。 それから、イエスは彼らをあとに残し、都を出てベタニヤに行き、そこで夜を過ごされた。

当時のエルサレムの神殿では、異邦人の庭と呼ばれる前庭に商売人たちが出店を出し、宮に納めるユダヤの通貨への両替や、犠牲として捧げる動物たちを売り買いする市場として占拠していました。イエス様はこれらの商売そのものを完全否定されたのではなく、神様を求めて巡礼した異邦人が礼拝を捧げるための場を、商売人たちが自らの利益のために占拠していたことに対して怒りを発せられたのでした。異邦人の庭を商売人たちに貸し出すことで地代を得ていた祭司長や律法学者たちは、自分たちの収入源が失われたことと、権威を否定されて、主イエスに立腹しましたが、本来は人々が礼拝を捧げる場を提供すべき彼らが、人々の礼拝の妨げをしていたとは本末転倒です。私たちも、人々が真剣に礼拝しようとしているのを妨げていることがないか、今一度吟味して、自らの姿勢を省みる者でありたいと願います。

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マタイによる福音書 21:18-22

朝はやく都に帰るとき、イエスは空腹をおぼえられた。 そして、道のかたわらに一本のいちじくの木があるのを見て、そこに行かれたが、ただ葉のほかは何も見当らなかった。そこでその木にむかって、「今から後いつまでも、おまえには実がならないように」と言われた。すると、いちじくの木はたちまち枯れた。 弟子たちはこれを見て、驚いて言った、「いちじくがどうして、こうすぐに枯れたのでしょう」。 イエスは答えて言われた、「よく聞いておくがよい。もしあなたがたが信じて疑わないならば、このいちじくにあったようなことが、できるばかりでなく、この山にむかって、動き出して海の中にはいれと言っても、そのとおりになるであろう。 また、祈のとき、信じて求めるものは、みな与えられるであろう」。

イスラエル地方では、春から夏にかけてイチジクの実が生りますが、その直前に実を結ぶ初生りのイチジクは、最も大きく、最も甘い最高級のものだそうです。イエス様もこの初生りのイチジクがないか期待されましたが、葉が茂るだけで実を結んでいないことに失望されました。これはイチジクそのものではなく、見栄えだけ立派でも内実を伴わない当時のイスラエル、特に祭司や律法学者、パリサイ人やサドカイ人などの信仰状態を嘆かれたものです。イエス様はそのような者をたちまち立ち枯れにしてしまう権威をお持ちです。私たちもイエス様から叱責されないよう、決して見かけ倒しではない、平安の義の実を結ぶ信仰生活を送る者でありたいと願います。

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マタイによる福音書 21:23-27

エスが宮にはいられたとき、祭司長たちや民の長老たちが、その教えておられる所にきて言った、「何の権威によって、これらの事をするのですか。だれが、そうする権威を授けたのですか」。 そこでイエスは彼らに言われた、「わたしも一つだけ尋ねよう。あなたがたがそれに答えてくれたなら、わたしも、何の権威によってこれらの事をするのか、あなたがたに言おう。 ヨハネバプテスマはどこからきたのであったか。天からであったか、人からであったか」。すると、彼らは互に論じて言った、「もし天からだと言えば、では、なぜ彼を信じなかったのか、とイエスは言うだろう。 しかし、もし人からだと言えば、群衆が恐ろしい。人々がみなヨハネ預言者と思っているのだから」。 そこで彼らは、「わたしたちにはわかりません」と答えた。すると、イエスが言われた、「わたしも何の権威によってこれらの事をするのか、あなたがたに言うまい。」

当時のイスラエル社会の権威を握っていた祭司長や長老たちは、イエス様に対して、何の権威によってこれらのことをするのかと問い質しました。そこでイエス様がバプテスマのヨハネが神から来たのか人から来たのかと逆に質問すると、彼らは人目を恐れて答えませんでした。この世の権力や既得権にすがりつくだけの者は、真実に目をふさぎ、見栄えや建前を重視して、自らの保身ばかりを考えます。私たちは彼らの真似をしてはなりません。

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マタイによる福音書 21:28-32

「あなたがたはどう思うか。ある人にふたりの子があったが、兄のところに行って言った、『子よ、きょう、ぶどう園へ行って働いてくれ』。 すると彼は『おとうさん、参ります』と答えたが、行かなかった。 また弟のところにきて同じように言った。彼は『いやです』と答えたが、あとから心を変えて、出かけた。 このふたりのうち、どちらが父の望みどおりにしたのか」。彼らは言った、「あとの者です」。イエスは言われた、「よく聞きなさい。取税人や遊女は、あなたがたより先に神の国にはいる。 というのは、ヨハネがあなたがたのところにきて、義の道を説いたのに、あなたがたは彼を信じなかった。ところが、取税人や遊女は彼を信じた。あなたがたはそれを見たのに、あとになっても、心をいれ変えて彼を信じようとしなかった。」

保身のために答を保留した祭司長や長老たちに対し、イエス様はバプテスマのヨハネを受け入れなかったことを叱責されました。そして、自分は神に近いと自認する彼らよりも、バプテスマのヨハネの教えを受け入れて悔い改めた取税人や遊女たちの方が神の国に入ることができると説かれました。私たちは、自分は神に近いと思っていても、実は神様から遠く離れていないか、常に信仰の状態を吟味する必要があります。

http://bible.com/81/mat.21.28-32.ja1955

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マタイによる福音書 21:33-41

「もう一つの譬を聞きなさい。ある所に、ひとりの家の主人がいたが、ぶどう園を造り、かきをめぐらし、その中に酒ぶねの穴を掘り、やぐらを立て、それを農夫たちに貸して、旅に出かけた。 収穫の季節がきたので、その分け前を受け取ろうとして、僕たちを農夫のところへ送った。 すると、農夫たちは、その僕たちをつかまえて、ひとりを袋だたきにし、ひとりを殺し、もうひとりを石で打ち殺した。 また別に、前よりも多くの僕たちを送ったが、彼らをも同じようにあしらった。 しかし、最後に、わたしの子は敬ってくれるだろうと思って、主人はその子を彼らの所につかわした。 すると農夫たちは、その子を見て互に言った、『あれはあと取りだ。さあ、これを殺して、その財産を手に入れよう』。 そして彼をつかまえて、ぶどう園の外に引き出して殺した。 このぶどう園の主人が帰ってきたら、この農夫たちをどうするだろうか」。 彼らはイエスに言った、「悪人どもを、皆殺しにして、季節ごとに収穫を納めるほかの農夫たちに、そのぶどう園を貸し与えるでしょう」。

この譬の中で、ぶどう園の主人は天の父なる神様、遣わされた僕は旧約の預言者たち、最後に遣わされた跡取り息子はイエス様を指しています。悪い農夫たちにたとえられたイスラエルは、聖書の御言葉も数々の預言も知りながらも受け入れず、神の一人子イエス様さえも十字架につけて、いのちを奪ってしまいました。そんな彼らは退けられ、神様の御言葉に聞き従う他の民に天国の権利を与えるでしょう。私たちもまた神様から退けられることのないよう、真理の御言葉に聞き従う者でありたいと願います。

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マタイによる福音書 21:42-46

エスは彼らに言われた、「あなたがたは、聖書でまだ読んだことがないのか、『家造りらの捨てた石が隅のかしら石になった。これは主がなされたことで、わたしたちの目には不思議に見える』。 それだから、あなたがたに言うが、神の国はあなたがたから取り上げられて、御国にふさわしい実を結ぶような異邦人に与えられるであろう。 またその石の上に落ちる者は打ち砕かれ、それがだれかの上に落ちかかるなら、その人はこなみじんにされるであろう」。 祭司長たちやパリサイ人たちがこの譬を聞いたとき、自分たちのことをさして言っておられることを悟ったので、 イエスを捕えようとしたが、群衆を恐れた。群衆はイエス預言者だと思っていたからである。

祭司長やパリサイ人たちは、イエス様が語られた一連の譬が、自分たちに宛てられた叱責であると気付いてイエスを捕らえようとしましたが、群衆を恐れて公然とは何もすることもできませんでした。人の目を恐れるか、神の目を恐れるか、私たちはただ真理に従う者でありたいと願います。

http://bible.com/81/mat.21.42-46.ja1955