九州・山陰への旅?―高速道路のパーキングエリアで車中泊をし、島根県「津和野町」に向かう - 彦四郎の中国生活

 8月21日(火)午後1時半頃、平戸島に架かる「平戸大橋」を渡り、玄界灘の海岸線に面した道路を走り、福岡市方面に向かう。途中、まず長崎県松浦市に入る。ここは、佐賀県伊万里市有田市に近い。そして、かっての古代・中世にかけての「松浦党」の本拠地だった場所だ。

 源平合戦のころの1000年代後半より中世の戦国時代にかけて、この松浦党は、ここ長崎県北部、平戸島五島列島佐賀県北部の海岸線一帯に勢力をもっていた。遠く朝鮮や中国との交易をおこなったりした「水軍」だった。また、元寇の役での蒙古襲来の時にはここは激戦地となり、現在でもここの海には「元軍」の船が沈んでいるようだ。城山というところにある「梶谷城」は松浦党の城。平戸城の松浦氏もこの「松浦党」の一つだった。

 佐賀県伊万里市をすぎ、唐津市に入る。玄界灘沿いをひた走り、福岡県に入った。さらに車をひた走りし、福岡市の「新幹線博多駅」に向かう。この日、妻は「新幹線乗って京都に戻る」予定だった。ようやく、午後5時30分頃に「博多駅」近くの「祇園交差点」に到着。妻は車を降りて新幹線駅方面に向かっていった。

 さあ、今夜の宿を探さなければいけない。玄界灘博多湾沿いに「どこかにホテルはないかな」と目を走らせながら車を運転する。私の日本の携帯電話は「ガラけい」。スマホ携帯電話ではないので、インターネットからの「ホテル予約」などはできないので、ひたすら探す。そのうち、日が暮れてきてしまった。

 「ここは何処だろう?」福岡県の宗像市に入っているようだった。九州自動車道路の標識があった。九州南部に上陸した台風19号がここ九州北部にも近づいているようで、急に風が強まってきた。この風はさらに強まり、九州北部は夜は暴風雨になるかもしれないので、高速道路に入って台風からできるだけ遠ざかることにした。そして、九州自動車道路(宗像―北九州八幡・小倉)を通過し関門海峡トンネルを渡り下関へ。風がかなり強い。さらに中国自動車道路に入り東をめざした。「今夜のうちにできるだけ進み、島根県津和野町に近いところまで行こう」と考えていた。

 山口市を過ぎて、島根県との県境に近い「鹿野」というパーキングエリアに停車したのは午後11時。台風の風はここまで来たら弱くなっていた。今夜はパジェロミニの軽自動車での車中泊となった。トラックがたくさん駐車していた。運転手たちはみんなここで車中泊の仮眠をとるようだ。熱帯夜の気温なので、ほとんどのトラックはエンジンを切らずにエアコンをつけて仮眠していた。トラックのエンジン音が気になってなかなか眠りにつけなかったが、それでも3時間ほどは眠れたようだった。いつものように午前3時すぎに目が覚めた。明るくなるまで、サービスエリアの建物で読書をしたりして過ごした。

 午前6時ころ、明るくもなったので、ここを出発した。島根県に入り高速道路を出て、一路、島根県津和野町に向かった。台風の影響か雲が黒々としていた。石見地方の石州瓦(せきしゅうがわら)の赤っぽい瓦屋根の農村の家並みが点在していた。