エリドゥ

死海に注ぎ込むヨルダン川の河口から北西へ約15キロ、海抜マイナス250メートルという場所に位置するのが、ナトゥフィアン文化時代新石器時代末期に世界最古の大集落町として興ったエリコイェリコです。

集落という云われ方だが、当時のエリコは、約4ヘクタール約40000の立派な都市であり、直径10メートル、高さ9メートル程の塔が立ち恐らくは見張り番がいた、居住地を囲む高さ4メートル、厚さ3メートルの石垣外壁が築かれていたと云う。世界最古の町都市にして、世界最古の城塞都市でもある。世界最初のオアシスとされるスルタンの泉があり、棕櫚の町として旧約聖書には繰り返しエリコの名が登場する。そして現在、約2万人のパレスチナ人が暮らしているが、嘗ての対立を超え、最も親ユダヤ的なパレスチナ都市となっている。元は、パレシテ人の多くがユダヤ教に改宗してユダヤ人となった。

同じ頃新石器時代末期の大規模集落として知られているムンハタ遺跡イスラエルやベイダ遺跡ヨルダンなどは2000程度だと言われるので、エリコの規模はかなり大きい。誰もそういう事を言わないが、メソポタミア文明の始まり以前のオリエントには、エリコを中心とした古代王国が存在していたのではないか?と思う。そうじゃないと、城壁のような石垣や見張り塔のようなものについての理解が難しい。つまりエリコは守られていたし、守られるべき対象の都市だった。

エリコを持ち上げ過ぎると、パレスチナ人は喜ぶでしょうけどユダヤイスラエル人の大半は反発する。故に、ユダヤ系財閥の巨大資産とユダヤ人ネットワークに大きく依存する欧米社会ではエリコは軽視されているのかもしれない。

チグリス川とユーフラテス川の間に広がる沖積平野、いわゆる肥沃な三日月と呼ばれる地域に誕生した古代文明を指してメソポタミア文明と言います。まァそんな事は義務教育を終えた人は誰でも知っているのですが、メソポタミアは狭義に於いては、現在のイラクを中心とする一帯とされます。

メソポタミア最初の文化とされるウバイド文化が誕生したのは紀元前5500年頃或いは、もっと以前、それを数千年溯るとも謂われるです。ウバイド文化の発祥地点がエリドゥです。現在のイラク南部バスラ県の県都バスラにあるテルアブシャハライン遺跡は、エリドゥと同定されていますが、エリドゥやその他のシュメール人の古代都市はバスラ県よりはジーカール県に多い気もします。

エリドゥに村落を築き暮らし始めた人達は、やがて、自分達を秩序を以って統率するリーダーの必要性を感じて、そして、人間社会として初めて平等を崩し、王を誕生させる。

王が居住する場所であったとされる遺丘が、バスラ県の北西に接するジーカール県のテルアルウバイド。

テルアブシャハラインからテルアルウバイドへの道程王の誕生に拠って、人類の平等は崩れる。実際の距離にしたらほんの僅かであっても歩けば結構な時間掛かるでしょうけど、支配者王族と非支配者平民という大きな距離となった。しかし、平等が崩れたことで力量に応じた結婚観や子育て観が芽生えた。平民と王族の誕生が起きたエリドゥ期は、人類に観念を植え付けた時代と言えなくもないです。