コーラン第17章夜の旅章不信者たちの末路
2013-08-125年前に書いた記事を読み返す。
われとかかれとか、代名詞がわかりにくい。
わかりやすくするため、修正。
コーランは読む価値があるけど、全部信じたら痛い目にあう。
懇切丁寧に解説してみたい。
私の説明能力も上がったと思う。
97アッラーの導かれる者こそ、正しく導かれた者である。だがアッラーが迷うに任せた者(不信者)に対しては、アッラーの外には決して保護者がないことを、お前(マホメット)は知るであろう。
我(アッラー)は復活の日に、不信者たちの顔をうつむけにして召集する。見えない者、物言えない者、聞こえない者として。不信者たちの住まいは地獄である。そして火勢が衰える度に、我(アッラー)は不信者たちのために烈火を加える。
マホメットがそれを肉声で語っている。
これは常識として知っているはず。
この世では、信じない者も放っておく。
預言者を通して、警告を与えるのにとどめる。
不信者を稲妻で打ち殺してくれたら、わかりやすいんだけど。
それじゃ信じるという価値が出ない。
見えない者、言えない者、聞こえない者
アッラーの創られた世界におりながら、お前たちは見えず、認めず、聞こえない。
神を信じない、霊を認めない霊的無知
その償いは死後なされる。
死後の復活の記述は他にも出てくるが、井筒俊彦先生でもよくわからないと言われている。
死後界の本はいろいろ。
現代は船井幸雄先生や矢作直樹先生
彼らはこの世的に信用できる人たち
なんといっても目に見える実績がある。
これを見れども見えず、聞けども聞こえず。
どうぞ自分の好きな世界にお還りください。
人の話を聞かない自分は他人を批判できない。
アッラーが不信者たちに罰(烈火)を加える
仏教ではこうした人格神は出てこない。
自分の業を清算する。
それが火で焼かれるとか、舌を抜かれるとか
この世的に翻訳しているだけ。
火炎も針の山も、抜かれる舌(肉体)も実在しない。
想念で作り出しているだけ。
悔い改めよ
神の国(天国)は近づけり
ナザレのイエスは反省すれば天国に行けると教えている。